東京地方裁判所 昭和52年(ワ)5931号 判決 1986年5月12日
原告
森妙子
右訴訟代理人弁護士
馬上融
同
城崎雅彦
同
加藤芳文
同
田辺幸雄
同
岩本洋一
同
石川憲彦
被告
国
右代表者法務大臣
鈴木省吾
右指定代理人
須藤典明
同
仁平康夫
同
佐々木清光
同
杉本健一
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の申立
一 原告
1 被告は原告に対し金一二〇〇万円及びこれに対する昭和五二年七月七日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言。
二 被告
1 主文と同旨
2 担保を条件とする仮執行免脱宣言。
第二当事者の主張
一 請求の原因
1(原告の採用)
原告は、昭和二五年四月三〇日被告に郵政事務官として採用され、同三二年八月から郵政省電波監理局法規課第一国際係、同四六年一〇月一日から官房審理課、同四七年四月から総務課整案係、同五〇年八月から周波数課に配転となり、同五四年四月に退職した。
2(原告の業務内容と罹患)
(一) 原告の法規課第一国際係における業務内容は次のとおりであった。
(1) 国際電気通信条約付属無線通信規則に違反した我が国の各無線局の違反について外国から送付されてきた違反報告文書の内容を照合、検討し、同文書をコピーしたうえ各管轄課(主管課)に回送するとともに、我が国の各無線局の違反について、我が国がとった措置内容等をタイプ等を用いて文書を作成し、外国に該文書を送付する業務。
(2) 外国の各無線局の右規則違反行為について、その違反内容をタイプ等で報告文書にし発送する業務。
(3) 国際電気通信連合(I・T・U)が右規則に基づき、発行する二〇余種類の国際業務リスト、図書、書類等を発注し、送付されてきた該リスト、図書等を電波監理局の諸課や地方局へ発送したり、代金支払いに伴う文書作成等の一連の業務。
(4) 加えて、昭和三八年に開催された宇宙無線通信主管庁会議、翌三九年の臨時無線通信主管庁会議の第一会期、同四〇年モントール全権委員会議、同四一年臨時無線通信主管会議本会議について、その準備作業(筆耕や文書の清書作業)及びタイプ業務。
ところで、原告は一般事務職として右業務を行い、補助的にタイプ業務を行っていたが、昭和三八年一〇月には専門のタイピストが他課へ配転となり、その補充がなされなかったことから、原告は同課のタイプ業務を一手に引き受けることになり、原告の行うタイプ業務は著しく増大した。しかも昭和三九年には一時期同係の係員一名が減員となったこともあって、原告の業務負担は異常に重いものであった。
(二) かくして、原告は昭和四一、四二年ころから身体各部に圧痛を感ずるようになり、同四二年六月二七日には「両前腕手腱鞘炎及び頸腕症候群」と診断され、そのころまでに同病に罹患した。原告のこの病気は、手指を酷使した右業務に起因するものである。
3(罹患後の業務内容と症状)
(一) 原告が罹患した昭和四二年六月二七日以降の原告の法規課第一国際係での業務内容は、その質量とも以前と全く同一であり、手指作業であるタイプ業務等を行っていた。しかもタイプは従前からの手動の機械であり、またタイプ専用の机もスタンドもなく、タイプを打つ環境は整備されていなかった(なお、タイプは昭和四四年に買い替えられた。)。
原告はその後も右病気治療のため通院していたが、昭和四三年四月一〇日から同年六月一七日まで入院治療を行った。しかも、その後の治療継続にもかかわらず昭和四五年には症状が悪化し、ドアの開閉やハンドバッグを長時間持つことができないほどになり、また勤務のため通院のための時間もとれない状態となっていた。
この間、原告は、昭和四三年一二月二七日公務災害認定の申請を行い、同四六年九月二日原告の疾病が業務に起因するとの認定がなされた。
(二) その後原告は前記のとおり、官房審理課、総務課整案係、周波数課にそれぞれ配転になったが、いずれの配転においても原告の希望を聴くこともなく、また原告の症状に応じた業務の軽減を伴うものではなかった。したがって、原告の症状も業務の変更によって軽快することはなく、頭痛、吐き気等の症状が継続し、昭和四八年四月から同四九年三月まで一年間休業し、はじめて症状は軽快するに至った。
4(被告の債務不履行責任)
被告は公務員に対し、公務を通じての職業病等の公務災害の発生を未然に防止すべき義務があるとともに、公務災害が発生した場合には適切な治療措置を施しその回復を図り、罹災労働者を就労させる場合にはその障害の程度、症状に応じた職種の変更や勤務場所の変更を行い、罹災労働者の症状を増悪させることのないように配慮すべき義務がある。したがって、被告は、昭和三〇年代後半には頸腕症候群がマスコミに採り上げられていたのであるから昭和四二年六月に原告が罹患するまでの間の業務については、業務の増加に合わせて増員、作業時間の配慮、タイプ作業をする際の作業時間、作業環境等健康障害を発生させる要因を取り除く配慮をすべき義務を負い、また、その罹患後、特に原告が昭和四三年一二月に公務災害認定の申請をした後は、原告の病状を的確に把握し、その業務を軽減しあるいは症状に適応した職種に変更すべき義務があるのにこれを怠り、前記のとおり原告を業務に起因する頸腕症候群に罹患させたうえ、その後も業務内容等について配慮せずにこれを増悪させたものである。
5(原告の損害)
原告は、昭和四二年発病以来、肉体的苦痛はもとより、この疾病のため結婚生活が破壊されるなどの精神的苦痛を受け、また被告が原告の疾病が治ゆしたという誤まった認定をしたことなどの不当な対応をしたことにより右苦痛は一層増大し、その損害は金一二〇〇万円を下ることはない。
6 よって、原告は、被告に対し、債務不履行責任として金一二〇〇万円及びこれに対する本件訴状の送達により到来した弁済期の翌日である昭和五二年七月七日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1の事実は認める。
2(一) 同2(一)のうち、原告が法規課第一国際係のタイプ業務を一手に引き受け、そのため、そのタイプ業務が著しく増大し、原告の業務負担が異常に重かったとの事実は否認し、その余の事実は認める。
(二) 同2(二)のうち、昭和四二年六月二七日原告主張のとおりの診断がなされたことは認め、その余の事実は否認する。
3(一) 同3(一)のうち、原告が入院したこと、原告主張のとおり公務災害認定の申請があり、その認定がなされたことは認め、その余の事実は否認する。
原告が入院したのは、昭和四三年四月一〇日から同年六月一五日までであって、しかも入院時の病名は悪性貧血の疑いであった。
(二) 同3(二)のうち原告が原告主張の期間休業したことは認め、その余の事実は否認する。
4 同4は争う。
5 同5は争う。
三 被告の主張
原告の疾病は原告の素因に基づくものというべきであって、業務との関連性を確定することは困難である。
また、被告は、公務員に対して、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っているが、本件のような業務上の疾病が問題となるような場合には、予見可能性を前提として、業務上疾病の発生以前の段階については発生回避義務、業務上疾病の発生後の段階については増悪防止義務が問題となるところ、被告は以下のとおり右義務を尽しており、何らの債務不履行はない。
1 法規課第一国際係配属から公務災害認定申請時まで
(一) 原告の業務は、タイプ作業を含むデスクワークである。デスクワークは、通常の作業であり、何ら危険な作業ではないから、当該業務を遂行させるに際して、発生を回避すべき具体的な疾病等を予見することはできないので、それ自体問題とならず、また右期間の作業量も多いものではない。
しかし、タイプ作業は、恒常的に顕在的な危険にさらされているものではないが、一定の業務量を超えて作業に従事することによって特定の類型的な疾病が発生する可能性があり、この限度において予見可能性が認められるから、発生回避義務としては、一定の業務量を超えることのないよう配慮することが要請される。そこで、右期間における原告のタイプ作業量についてみると、まず総勤務時間に対するタイプ作業時間の割合は、年間平均六パーセント程度にすぎないところから、タイプ作業は補助的作業といえるのであり、その作業量もキーパンチャー等終日打鍵作業に従事している者について規定されている昭和三九年九月二二日の労働基準局長の「キーパンチャーの作業管理について」と題する通達(基発第一一〇六号)では一日のタッチ数四万字と規定されており、原告の昭和四二年一月から一二月までの一か月当たりの平均タッチ数四万四六三三字と比較すれば、原告の作業量は決して多いものとはいえない。
したがって、被告には、原告の疾病に関し発生回避義務の履行に欠けるところはない。
(二) また原告が昭和四三年六月一五日退院した後には、その増悪防止義務が問題となるが、被告は原告に対し「無理をしないよう」に注意したほか、特に重い物は持たせないようにしたり、タイプ作業は専門のタイピストに依頼するなどの配慮をしていた。なお、この間に原告がタイプ作業に従事しているが、これは原告の申し出によって、原告の機能回復のために行ったものであって、被告が非難される筋合ではない。
このように被告は退院後の原告に対して、作業軽減等の措置をして十分な配慮をしているのであって、増悪防止義務の履行に何ら欠けるところはない。
2 公務災害申請時から認定時まで
(一) この間原告が過重なタイプ作業等に従事したことはない。タイプ作業は、原告の希望によって若干従事させたが、急を要するものなどについては、専門のタイピストに依頼したり、他の係員が打ったりして、原告の負担にならないように配慮していた。
(二) また、被告は常に原告に「無理をしないよう」に注意し、更に原告に通院を勧めていたのであって、通院を妨げるような環境を作ったことはない。因みに、原告は昭和四四年には延べ約三三回(実質二三日)の年次休暇をとり、その間月一回程度通院しており、翌四五年には延べ約三七回(実質三三日)の年次休暇をとっており、また昭和四六年にも延べ約三七回(実質二六日)の年次休暇をとり通院等を行っているのであって、通院を妨げる事情があったものとはいえない。
しかも右昭和四五年の休暇には約一八日間の海外旅行も含まれているのであって、この間の原告の症状は軽快していたものともいえる。
このように、被告は増悪防止義務の履行を尽しており、債務不履行責任はない。
3 公務災害認定から治ゆ認定まで
(一) 原告は、昭和四六年一〇月一日に法規課第一国際係から官房審理課に、また、同四七年四月一五日に同課から総務課整案係に配置換えになったが、これらはいずれもタイプ打鍵作業のないものであって増悪防止措置として適切なものである。すなわち、官房審理課における原告の職務内容は電波監理審議会におけるテープの反訳が主であるところ、会議はせいぜい月に一、二回開催されるにすぎず、その反訳量も多いものではなく、時間的にも十分に余裕をもって行える軽微な業務であったし、総務課整案係における職務内容は、文書の配付、決裁文書・起案文書の件名簿への記帳、郵便物の発送等軽作業でありその処理量も多くなかったのである。
したがって、被告は増悪防止義務を尽くしており、債務不履行はない。
(二) 原告の頸腕症候群等の症状は、精神的要因によるところが大であると考えられるところ、昭和四七年八月ころにはその症状も見られなくなった。そこで被告は昭和四八年八月三一日付で原告の疾病は同年五月一七日をもって治ゆしたものと認定した。
4 治ゆ認定以後
原告は治ゆ認定後も頸腕症候群の症状がある旨主張するが、この症状はもっぱら原告の精神的要因に起因するものであって、業務との関連性は認められない。また仮に関連性があるとしても、休業後の勤務についても、上司から原告に対し「無理をしないよう」に注意していたほか、被告は原告の希望に応じて四時間勤務(昭和四九年四月一日から同年六月一四日まで)を認めるなど十分な配慮を行っていたのであるから、増悪防止義務の履行に欠けるところはない。
第三証拠
本件記録中の書証目録及び証人等目録の記載のとおりである。
理由
一 請求の原因1の事実は当事者間に争いがない。
二 原告は、被告の業務に起因して頸腕症候群に罹患し、更に被告の不適切な対応のため、右症状が増悪したのであるから、被告には債務不履行がある旨主張し、被告がこれを争うので判断するに、当事者間に争いのない事実、(証拠略)、原告本人尋問の結果(但し後記措信しない部分を除く。)に弁論の全趣旨を総合すると以下の事実が認められる。
1 原告は、昭和三二年八月法規課第一国際係に配属され、ここでは請求の原因2(一)(1)ないし(4)記載の業務を担当していた。原告は郵政事務官として採用された事務職員であって、タイプ作業は補助的に行うにすぎなかった。そして原告が配属された当初は、専門のタイピストである木村珠江が同課に配属されていたので、原告のタイプ作業は補助的なものにすぎなかったが、同人が昭和三八年一〇月に周波数課に配置換えになりタイピストの補充がなかったため、法規課のタイプ作業を原告が主に行うようになった。また、昭和三八年から三九年にかけては一時期同課職員が一名減員になったことから、国際会議の準備も行ったりした。原告のタイプ作業量については、現存する文書からその字数を計算すると、昭和四一年六月から同四二年六月までの間に合計約七六万五三七〇字タイプしたことになる。原告のタイプ技倆は一分間二五〇ストロークであるが、これを一〇〇ストロークとして計算すると、右タイプ作業の所要時間は約一二七時間四五分であり、原告の右期間の実働時間に対する比率は平均五・九四パーセントである。そして右期間において最もタイプ量の多かった昭和四二年五月(実働日数二二日間)には、三〇万七七三五字所要時間にして五一時間一八分、実働時間に占める割合は三一・〇九パーセントであった。なお右期間において、一〇時間を超えるタイプ作業を行った月が六か月あった。これらのタイプ作業の計算は、現存している文書によるものであって、廃棄された文書や清書のために打ち直した文書もあり、原告の実際のタイプ作業は右を上回るものであった。また原告はタイプ作業を休憩をとることなく連続して行うこともあり、またタイプ作業をするためのタイプ用の椅子、スタンドは昭和四〇年五月まで貸与されず、貸与されたものもタイプ専用のものではなかった。
こうした作業をする中で、原告は昭和三八年後半ころから目が疲れる、肩が凝る、後頭部が痛くなる、吐き気を催すなどの症状を感ずるようになり、昭和四二年六月二七日代々木病院で診察を受けたところ、石垣堅吾医師から「両前腕手腱鞘炎及び頸腕症候群」と診断された。
2 原告は右診断を受けた後、昭和四三年四月一〇日に右病院に入院するまでの間、昭和四三年二月を除き概ね出勤し、タイプ作業にも従事しているが、その作業量は、昭和四三年一月に所要時間にして一〇時間四五分行ったほかは、一か月四時間に満たない作業時間であった。
なお、労働基準局長は、昭和三九年九月二二日の「キーパンチャーの作業管理について」と題する通達(基発第一一〇六号)を出して頸腕症候群の発生を避けるための労働条件について規定しているが、その中で終日打鍵作業を行うキーパンチャーについては、連続六〇分を超えて作業しないこと、一日の平均タッチ数が四万字を超えないよう調整することが望ましいとしている。
3 原告は右疾病により昭和四三年四月右代々木病院に入院し、同年六月半ばに退院した。原告の上司である小倉秀明係長(以下「小倉係長」という。)は入院中の原告を見舞った際、担当医から、過度に手を使うこと、また連続して手作業を行うこと、重い物を持つことを避けるように指示された。そこで、小倉係長は退院した原告に対し過度にタイプを打たないように、また重い物を持つときは、連絡するように告げるとともに、身体の具合いの悪いときは連絡するようにとも告げた。そして、タイプ作業については、周波数課のタイピストである木村珠江に依頼し、あるいは係員らが自らタイプを打ったりした。なお、原告は、機能回復のため希望してタイプ作業を行うこともあり、その際にも、小倉係長は原告に対し無理をしないように注意したりした。
ただこの間も原告の仕事の分担には変化はなく、タイプ作業が減少しただけであった。そしてこの間に、タイプの機械が手動式のものから電動式のものに買い替えられた。
4 原告は、昭和四三年一二月二七日公務災害認定の申請をし、同四六年九月二日原告の疾病が業務に起因するとの認定をうけた。原告は、昭和四四年には延べ三三回の年次休暇をとり月一回程度の割合で代々木病院に通院し、また同四五年には三七回、同四六年には三七回の年次休暇をとっている。そして、原告は、昭和四二年七月一七日から同月二二日までと、同年九月五日には温泉治療を、昭和四二年八月からは月二ないし一二回日本超音波温泉治療を、また昭和四六年二月から四月にかけて日本治療院に通院し、昭和四六年六月から同四七年一一月まで浪越指圧センターに通院している。なお原告の主治医である石垣医師は、昭和四六年九月八日原告の症状及び治療に関して肩、上肢、手にかけて疼痛があるため月三回、三か月位の治療が必要と診断している。
5 被告は、昭和四六年一〇月原告の希望を聴くことなく、原告を官房審理課に配置換えをした。同課は、電波監理審議会の文書の立案、議事日程の作成、議事録の作成、資料収集、審議に必要な調査等を行っているが、原告は主に議事録の作成を担当した。議事録の作成は、議事を録取したテープを聴きながら文書化するものであって、神経を使う手仕事ではあったが、その作成にはタイプ作業がなく、時間的にも余裕があったうえ、上司である福島茂樹聴問係長は原告に対し無理をせず休養をとるように告げて議事録作成を手伝うこともあった。そして原告は、この間週三回位は通院し、具合いの悪いときは、自分の机や審議会の委員室で休養をとっていた。
6 被告は、昭和四七年四月一五日総務課整案係に原告の希望を聴くことなく、配置換えをした。同係では文書の収受、分類等の業務を行っているが、原告は文書の配付、起案文書や決裁文書等の件名簿等への記入、郵便物の発送事務の補助を行っていた。そして同係では、上司である大蔵健男係長は原告に対し、仕事のことは心配しないで通院するように告げるとともに、原告の通院、休暇、早退に対処できるような態勢を採っていた。
原告は、症状が軽快しないことから、当時の主治医である鬼子母神病院の中村美治医師の指示に従い昭和四八年四月二五日から同四九年三月末日まで休業した。そして同四九年四月から六月まで右整案係で半日勤務、同年六月から八月まで八割勤務(午前九時から午後三時まで)、同年八月以降全日勤務となった。
7 ところで、原告の病状については、代々木病院での主治医である石垣医師は昭和四七年八月一七日付診断書で「業務を変えて経過をみても、同様症状の繰り返しで症状固定的傾向がある」と診断し、東京労災病院松元司医師は同年九月二一日付の意見書において症状は既に固定していると述べ、精神的因子が大きく影響していると診断し、また東京逓信病院の中島健二医師は、昭和四八年五月に診察し、原告には器質的な欠陥はなく、精神病質からくる症状と診断した。こうした中で被告は昭和四八年八月三一日付で、原告は同年五月一七日をもって症状が固定しているとして治ゆ認定をした。
8 その後、被告は、昭和五〇年七月原告の希望を聴くことなく、原告を周波数課に配置換えをした。同課で原告は周波数の統計や原簿の修正を行っていたが、細かい原簿を見る必要上目は疲れるもののタイプ作業はなかった。
原告は昭和五四年四月被告を退職した。
以上の事実を認めることができ、原告本人の供述中右認定に反する部分は前顕各証拠と対比すると措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
ところで、被告は公務遂行中の公務員に対して、その生命、身体等を危険から保護すべき義務を負っているところ、その危険がいわゆる業務上の疾病である場合には、その発生以前には業務上の発生回避義務を、その発生後にあってはその増悪防止義務を負担しているものというべきである。
そこで本件について右義務の履行について検討する。
1 発生回避義務について
右認定事実によれば、原告が頸腕症候群等の疾病に罹患したのは遅くとも昭和四二年六月二七日であるところ、原告は一般事務職であり、タイプ作業は補助的作業であるにもかかわらず、昭和三八年一〇月以降本来の業務のほかに、法規課のタイプ作業を主に引き受けていたこと、タイプ作業についても昭和四一年六月から同四二年六月までに約七六万五三七〇字をタイプし、所要時間は約一二七時間四五分であったこと、また右一年間の内六か月は一〇万字以上のタイプを打ち、昭和四二年五月には一か月で三〇万七七三五字をタイプし、時間にして五一時間一八分を要していること(なおこれらの字数は、現存文書によるものであり、打ち直した文書、破棄された文書も存在するが、原告のストロークを控え目に計算していること、また現存しない文書が現存する文書を大幅に上回るとは考え難いことからすれば、現実のタイプ作業量は右を大きく上回ることはないものと推認することができる。)、タイプ作業を連続して行っていたこともあること、また原告が当初使用していたタイプは手動式であり、タイプ専用の机、椅子、スタンドもないことから、タイプ作業の環境は必ずしも良好とはいえなかったということもできるが他方、原告のタイプの作業量の原告の全実働時間に占める割合は平均して六パーセントに満たないものであり、また多いとされる昭和四二年五月についても三一・〇九パーセントであって、実働日数が二二日であることからすると一日当たりのタイプ作業量はそれ自体必ずしも過重なものとはいえないこと、そしてまた昭和三九年九月二二日付のキーパンチャーに関する前記通達によれば、一日の平均タッチ数が四万字を超えないよう調整していることに照らしても、右原告のタイプ作業量が著しく過重なものとはいえず、これらの事実に照らすと原告の右タイプ作業量、作業環境から直ちに被告が原告の疾病の発生を予見し得たとはいえず、またタイプ作業以外に原告の疾病を予見し得る状況にあったと認めるに足りる証拠もないので、いまだ原告の右疾病の発生につき被告がその回避義務を怠ったとは認められないものというべきである。
2 増悪防止義務について
前認定事実によれば、原告は遅くとも昭和四二年六月二七日には頸腕症候群等の疾病に罹患していたこと、その後、右症状のため昭和四三年四月から六月にかけて入院治療を受けていること及び主治医が原告の上司に仕事上の留意点を指摘していることからすれば、被告は遅くとも右時点までには原告の罹患及びタイプ作業、重い物を持つことが症状を増悪させることを知っていたものと認められる。そして、同認定事実によれば、法規課第一国際係で原告は昭和四二年以降も従前と同様の業務とともにタイプ作業を継続していたことが認められるが、他方昭和四二年六月から同四三年四月までの原告のタイプ作業量は一か月一〇時間を超えた月が一回あるだけで、全体としての作業量は少ないものであること、タイプ作業の中には、機能回復のためという原告の希望があってこれに従事させたこともあること、原告が昭和四三年六月に退院した後は、被告は医師の指示に従いタイプ仕事を控えさせ、あるいは重い物を持たせないよう配慮し、更に上司は原告に無理をしないよう度々注意していたこと、この間原告は各種の治療を受けていることも認められ、これらの事実をも考慮すると原告が従前の業務を行いタイプ作業に従事していたとしても、そのことから直ちに被告がその増悪防止義務に反したともいえず、また上司の原告への配慮もあり、また特に過重な業務があったとも認めるに足りる証拠もなく、法規課第一国際係における業務について被告に増悪防止義務の不履行があったとはいえないものというべきである。
次にその後配置換えになった官房審理課、総務課整案係、周波数課の業務について検討するに、これらの配置換えについて原告の希望を聴かなかった点はあるもののいずれの課においてもタイプ作業はなく、官房審理課では神経を使う手仕事ではあるものの、時間的に余裕があり上司も原告に休養を促すなどの配慮をしていること、整案課においても原告の通院に対処できるような態勢を作っているうえ作業自体も軽微なものであり、特に症状が増悪する原因となる作業とは認め難く、また周波数課においてもその作業が目の疲れの他に症状を悪化させるような作業を含んでいるとは認められず、これら原告が従事した業務内容あるいは作業環境が直ちに原告の症状を増悪させるものとは認め難く、更に原告の症状は昭和四七年七月ころには既に固定的傾向を示し、むしろ精神的要因が大きいことも考えられることからすれば原告の疾病につき被告が増悪防止義務を怠ったとは到底認められないものというべきである。
3 以上のとおり、被告には原告の疾病につきその発生回避義務、増悪防止義務を怠ったものと認めるに足りる証拠はない。
三 よって、原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 渡邊昭)